大里綜合管理・東日本大震災ボランティアバス釜石編3〜ボランティアに来つつも鵜住居のみなさんの夢をお裾分けしていただいていた

後世の残したい、あの時の想い。そして生死の挟間の原点から地域の夢が紡がれる

5年後のその時を夢見て 〜釜石市鵜住居「にこにこ農園」にて
5年後のその時を夢見て 〜釜石市鵜住居「にこにこ農園」にて

一行は絆ハウスから車で数分のところにある「にこにこ農園」へ。

農園開設のきっかけは仮設住宅暮らしでどこにも動けないという人が多かったことから、荒れて草がぼうぼうだった土地を開墾。

 

「40区画を用意して、昨年は37区画が埋まりました。

 今年は38区画埋まってます」

 

という盛況ぶりだ。

 

「農園に行くと、声掛ける訳だ。

 作物の品評会をしたり、みんなで呑んで」

 

と、今では住民の人たちにとって貴重な集いの場となっている。

にこにこ農園では野菜などのほかに、3月下旬から160本のブドウの木を植え始めた。その理由を農園スタッフの方が教えてくれた。

 

「ラグビーのワールドカップを釜石に誘致したいと思ってるんです。

 今年の秋に申請の締切、

 そして結果が分かるのが来年の三月なんです。

 このブドウのワインができるのは5年後の予定。

 (ワールドカップが釜石で行われる)その日のために

 ワインのブドウを植えようと。

 『ワインで乾杯プロジェクト』です」

 

そう、今回のボランティアの最大のミッションはこのブドウ畑の草取りなのだ。

 

みんなでその夢を共有している協議会やにこにこ農園の方たち。

ほんの少しだけど、その夢へのお手伝いができるって素晴らしいことじゃないだろうか。地元のひとも大里一行も一緒になって一心に草むしりに励んだ。大里さんのボランティア活動は必ず一定時間毎に休憩を取るようにしている(これは活動の危機管理になるし、活動参加に対する安心材料になる)。ただ、みなさん夢中で、まだまだヤルゾ!って方が多い(笑)

昼食はお弁当を戴く。身体を動かした後なのでおいしいこと!さらにサプライズだったのは、差し入れに地元の方が豆餅を持ってきてくれたことだ。この地方の郷土料理のひとつで、家によってはクルミを入れるやり方もあるようだ。杵で搗いた餅たいへんだそうだが、たいへんキメが細かく、もちんと驚くほど柔らかい食感だった。これはうまい!


また、食事をしていると、先ほど訪ねた根浜海岸に臨む宿「宝来館」の女将、岩崎昭子さんが駆けつけてくれた。改めて今回のブドウ畑の趣旨と、それにかける想いを語っていただいた。岩崎さんはご自身も波にのまれ、九死に一生を得ながら、語り部として奔走されている方でもある。

食後も草取りの続きを開始。そして気が付けば見違えるほどきれいになった畑が姿を現していた。


夢中でやった作業はあっという間だった感じがする。名残惜しいが、協議会や農園のみなさんと別れ、鵜住居を後にした。

手を振ってお別れ。秋の収穫祭の時に再びこの地を訪ねたい
手を振ってお別れ。秋の収穫祭の時に再びこの地を訪ねたい

帰路、釜石市南部の唐丹(とうに)町の本郷地区に立ち寄ることに。先に訪ねた根浜海岸の「津波記憶石」が、ここ唐丹町本郷にもあると知り、その石碑を見てみることにしたのだ。

 

が、近くまで来たはずが、その場所が分からず、本郷地区のクリーニング店のおばちゃんに道を尋ねる。すると、もうすぐそこだということだった。そして無事に到着。

地元の小中学生の、後世に残したいメッセージが石に刻まれている
地元の小中学生の、後世に残したいメッセージが石に刻まれている
記憶石の脇には明治と昭和の大津波の際に立てられた石碑も並んでいた
記憶石の脇には明治と昭和の大津波の際に立てられた石碑も並んでいた

石碑を前に、刻まれた文字を読み取っていると、先のクリーニング店のミウラおばちゃんが、津波のことについて語ってくれた。

 

「3回いただいたん(津波を被ったん)です。

 明治と昭和に2回いただいた。

 それから(波が来たところより)上にのぼって(家を建てて)。

 でもだんだんと働く場所に近いから、

 安心して下に下に何軒か下がったわけ。

 今度ので50軒が流されちゃった」

 

幸い犠牲者はでなかったものの、目の前の低地部分は「プールみたい」だったという。

奇跡的に残ったという二本の松を前に、ミウラさんよりお話を伺う
奇跡的に残ったという二本の松を前に、ミウラさんよりお話を伺う
茶色のプレハブの事務所は、津波が来る前までは寺があったという
茶色のプレハブの事務所は、津波が来る前までは寺があったという

「ここまで来ないと思っていても、

 10センチでも30センチでも

 高いところへ上がれって気持ちでいるから」

 

とミウラさんは云う。

ふと、野老社長の見つめる石碑の文字が目に入った。

 

100回逃げて、

 100回来なくても

 101回目も必ず逃げて

「ここは、下が透けて見えるほど綺麗な海なんです。

 灰色になる日は怖くて引っ込んでるけど。

 いいところですよ、なんでも美味しい」

 

小さな入り江を見つめるミウラさん。

その表情は地元の海を愛する、優しい眼差しだった。

 

         ◆

 

帰りのバスの車内で参加者それぞれ、感想を言い合った。

立場によって捉え方が違うということ。

「釜石の奇跡は当たり前」という言葉が印象的だった、などなど。

 

私は、なぜ協議会やにこにこ農園の方たちが多くのものを失ったなかで、ラグビーワールドカップの誘致や、直栽培ブドウによるワイン醸造など、みんなで壮大とも思える夢に突き進めるのかが疑問だった。ちょっとした企画であたふたしている自分がすごく小さく感じた。

 

「生きると死ぬの間の原点。

 みんなで生きるためというその想いになれば、

 欲求不満などの壁を越えていける。

 当事者としてその原点を持っている。

 宝来館の女将が語り部として一生懸命だったりとかね。

 やってきたことの積み重ね、

 やってきたことの順番なんだろうな」

 

そんな野老社長の言葉を反芻してみる。

そして社長が笑った。

 

「あのワインを呑んだら、

 草刈り、あの時したよなって思い出すんだろうね」

 

と。私たちは、ボランティアで来つつも、夢をお裾分けしていただいているようだった。