銚子という街のシーンに溶け込むように。curoccho cafe(クロッチョカフェ)、それは灯台のように感動の光を灯し続けるカフェ

揺るぎなく、

この街にあり続けること 

卸売市場が第一から第三まであり、とにかく広い。さすが日本を代表する銚子漁港。その第三市場の奥に水産工場が集積しており、白衣を来ながらその中のとある工場で取材をしてきました。


生産ラインを延々追いかけていたせいか、妙に人情味が恋しくなりました。久しぶりに、あのカフェを訪ねてみようか・・・。夕闇に包まれゆく銚子銀座のストリートの一角に、自然と足が向いていました。


変わらずラバッツァのブルーの看板に、やわらかに街を照らすカフェ灯り。

もう3年間、ここを訪ねていなかったんですね。

■curoccho cafe(クロッチョカフェ)

銚子市中央町13-6

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利根川に架かる銚子大橋が、きれいな橋に生まれ変わりました。

十字屋だったシティオが、広大な更地になっていました。


移り変わる港町。

でも、創業から丸10年間、クロッチョカフェの佇まいは変わっていなかったのです。


こみ上げる懐かしさを抑えながらカフェの扉を開けると、一瞬驚く店主の由美さん。そしてすぐに、ぱっと弾ける笑顔になりました。


今日も定番の、カフェラテを。

美しいラテアートに思わず笑みがこぼれます。

もうひとつ、クロッチョカフェの定番といえばベーグルなのですが、残念ながらこの日は売り切れでした。ほんとうに残念!(笑)このベーグルにはオーナーであるパートナーの執念が詰まっているのです。


「ヘルシーだけど固くて、美味しいとは言い切れないのが当時のベーグルだったんです。でも、カフェにぴったりだし、美味しくできたらいいなって思っていたんです」


そこから一年に及ぶ試行錯誤が始まります。由美さんは


「初めは、お店を開くのは反対でした。納得したものでないとお店はやらないよ。オンリーワンのものじゃないと」


と考えていましたが、


「でも彼は、やりたい気持ちが強かったんでしょうね」


由美さんが朝目覚めると台所に立つ彼がいた。

夜、仕事から帰ると黒いゴミ袋がいっぱいになっていた・・・失敗したベーグルがその中に入っていたのです。粉を変えたり、配合を変えたり、ベーグルをひたすら作り続けました。そして、2004年4月1日に、オープンの日を迎えたのです。


「最初はドーナツと勘違いされたり、『ご飯やパスタがない』と帰られてしまうこともありました」


とオープン当初を振り返る由美さん。ですが、


「オーナーは食べるのが好き、作るのが好きなんです。そして、自分たちの欲しかったカフェが銚子になかったから作りたかったんです。美味しく食べて欲しい、わくわくして感動してもらうことが幸せなんです」


3年前に伺ったこの「好き」という気持ちはまったく色褪せていませんでした。

グリーンティーのマフィンとキャラメルのマフィンをtake out。しっとりとした味わいです
グリーンティーのマフィンとキャラメルのマフィンをtake out。しっとりとした味わいです

好きという気持ち、感動は、お客さんにも、スタッフの方にも、そして街にも伝播するのだと思います。カウンターにあるお客さんの描いたクロッチョカフェの絵が、そっと悦びを湛えていました。


「ベーグルは終わってしまって、申し訳ないです。もっといっぱいある中から選んでもらいたかった~!」


ほんとうに残念そうに常連さんに話す由美さん。


「今、旭にいるんですけどね、銚子でおいしいベーグル屋さんがあるよって言ってるの。がんばってやってるのかな~って」


そう、足を運ぶ女性客もいれば、閉店間際にマフィンを買いに求める常連客がやって来たり。


「常連さんとこう過ごしているときが一番愉しいかも」


と由美さんは笑います。

ここは、街のリズム。

カフェに溢れる笑顔は、心地よい躍動感に。


「カフェには日常と非日常両方あると思うんです。10年ちょっとやってきて街のシーンに、ようやく溶け込めるようになってきたのかな」


小さな感動で幸せになってほしい、その素朴な想いがあったから。

想いを地道に日々の生業として持ち続けること。

淡々と、ただそこにあり続けるカフェだけれど、

他には変え難い銚子という街のカフェとして立ち続けているのです。

そう、街と人の心を明るく照らし続ける灯台のように。