「できる人が、できる時に、できる事をする」
〜南相馬市ボランティア活動センター、松本光雄さん
九十九里浜を起点に平坦な土地が広がる大網白里市。東金市と茂原市の間に位置し、外房線が東京に乗り入れるアクセスの良さもあって、ベッドタウンとしてのまちの表情も持つ。この大網白里市を拠点とする不動産会社が大里綜合管理です。不動産管理・仲介等を事業内容とする会社だが、その多彩な地域貢献活動で広く知られています。
■大里綜合管理webサイト → ●
社員の働くフロアーが学童保育のスペースとなり、お昼のコンサートなどに地域の人々が会社に集う。ワンデイシェフシステムを取り入れた「コミュニティダイニング大里」は食を通じた団らんの場となり、震災後はなんと70パーセント節電も達成しました。こうした地域貢献活動を展開し、多様な地域コミュニティを結びつけている、ユニークな不動産会社。「その瞬間に何ができるか」を合い言葉に、大里綜合管理が東日本大震災復興支援に動くというのは自然なことでした。
震災直後から始められたボランティアは週一回のペースで行われ、あれから3年以上経った今も月1回のペースで東北へのボランティアバスを走らせています。
ボランティアバスは、前日夜に大里綜合管理を発って、朝、宮城・岩手に到着(福島方面の場合は当日4時頃に出発)。現地で活動するとともに、被災の現場を巡り、その日の深夜に大里に戻ってくるパターンが多いです。
この日はまだ夜が開けきらない4時に出発。今回は20名を超える人が参加、バスが満員になりました。70を超えているとはとても見えない、はつらつとした笹原かあちゃんが今回もコーディネーターを担当。南米に渡っていた息子さんもカムバックしそこここの場面でお母様をサポート。二人三脚の協力体制で、ボランティアが運営されていきました。
今回の派遣先は福島県南相馬市。
「南相馬市ボランティア活動センター」を訪ね、そこで地元ニーズを把握したうえで作業にあたります。北は相馬市、南は浪江町に接する市で、旧原町市が市の中心部となります。市域の南部は避難指示解除準備区域(※1)があり、南相馬市においても原発の影響から、宮城、岩手と比して復興が遅々として進んでいないのが現状です。
大網白里を発ったバスは、常磐道をひたすら北上。いわき市を抜け広野ICを通過します。ちょうど2年前に楢葉町を訪ねた時にはまだ、広野ICと、終点の常磐富岡ICは通行することができませんでした。今はこの広野~常磐富岡IC区間が走行できるほか、福島県浜通り地方を縦走する国道6号線と、富岡ICと6号を結ぶ県道が、帰宅困難区域(※2)内にもかかわらず特例的に走行することができます(但し、二輪や原付、歩行は不可)。
※1 一時帰宅が可能。宿泊は不可。『年間積算線量が20ミリシーベルト以下となることが確実であることが確認された地域』 ※2 特別な許可がなければ立入り不可。『5年間を経過してもなお、年間積算線量が20ミリシーベルトを下回らないおそれのある、現時点で年間積算線量が50ミリシーベルト超の地域』
2年前、楢葉町で車の通らない常磐道を見上げた場所。そこは、延々広がる黄色の荒野。田園だっただろう場所が、こんなにもセイタカアワダチソウで埋め尽くされてしまい、ほとんど人の気配がなくなった世界。震撼せずにはいられませんでした。
この日は高速道から同じ地点を眺めます。そこは黄色の荒野ではなくなっており、雑草は刈取られて田んぼが姿を現していました。その、除染された土地の向こうに、除染後の土と思われる廃棄物がシートのカバーをかけられて置かれています。その、あまりにも広大なスケール感に、その受けた被害の大きさを実感します。
■ぐるっと千葉時代のレポート
・大里綜合管理ボランティアvol.4被災地で「一隅を照らす」(7)南相馬市小高区 → ●
・大里綜合管理ボランティアvol.5福島をフォーカスする(3)コミュニティを失った地域の姿-楢葉町 → ●
南相馬市南部の小高地区の、津波被害の爪痕が未だ如実に残る現状に触れ、岩手・宮城との復興のスピード感の違いを体感します。その後、小高区の中心部に設けらた「南相馬市ボランティア活動センター」に到着しました。
南相馬市ボランティア活動センターは松本光雄さんが運営するボランティアセンターで、南相馬市社会福祉協議会から委託を受けて活動されています。ここで、地元のニーズと、ボランティアとのマッチングを行い、現地作業へと振り向けられます。
■南相馬市ボランティア活動センター → ●
松本さんのお話によると、センター立ち上げ当初は、被災者の方々のお話を訊くということが多かったといいます。その後、社会福祉協議会では担いきれない業務を、こちらのセンターで行うという、役割分担ができてきました。
「できる人が、できる時に、できる事をする」
そうすれば、作業中の事故がおきにくいと、松本さんは強調されます。シンプルな理念ですが、ボランティア活動はもちろん、あらゆる場面において胸に刻みたい言葉です。
「『同苦』『抜苦』『与楽』。
同情ではなくて。相手まで降りていけるか」
そんなボランティア精神を松本さんは説きます。
「どうやったら笑顔が取り戻せるか。考えながらやると、結果が違う。
ここは、若い人たちが帰ってくる環境をつくらなきゃいけない。
残されたお年寄りがどこまでできるか。
私たちがそのお手伝いができるか、です」
今回、大里一行が派遣されたのは、南相馬市の一番南にある駅、JR常磐線・桃内駅近辺の山間にある育苗施設です。
ホームセンターで100円弱くらいで野菜の苗ポットを販売しているのを、よく見かけると思います。あの苗って、どこで生産されているか、想いを巡らせたことはありますか?恥ずかしいながら私、生育状況はいいかとか、やはり一代交配種なのかななど、その苗そのもの品質については気にするものの、その生産現場については想いを遣ることがあまりなかったなと、この時気が付きました。こちらの施設では、大手ホームセンター向けの野菜苗を育苗し出荷することで、仕事とされていたのです。
ハウスの中に、見渡す限りの野菜苗ポットが並んでいたのですが、震災後、
「ハウスに戻って来たけど原発が爆発して、
結局そのままの状態で離れざるを得なかった」
と、施設長の奥様が当時の状況を語ります。
現在、ご夫妻は仮設住宅で暮らしています。
今回の我々のミッションは、ハウス内に残され散乱した野菜ポットのビニールや土の除去作業になります。
途中、休憩を挟みながら4時間半ほど、ひたすらにポットの片付け作業に徹します。とにかくその数が膨大で、これを一人でやろうなんて思ったら、途方に暮れてしまうでしょう。除去した土は施設を管理されるご夫妻の跡取り息子さんに重機で運んでもらい、ビニールはまとめてトン袋に詰め込みます。
そして、崩れたポットだらけだった空間が、だいぶ綺麗に片付きました。
そのあまりの散乱した資材の多さに、ご夫妻は片付けようという気持ちも萎えてしまったと打ち明けます。今回、敷地内のほんのひと区画のハウスの片付け作業でしたが、来た時と終わった後との光景の違いに、ほんとうによろこんでいただけました。その感謝される姿に、逆に感謝したくなりました。消費地を支えてくれる生業に、少しでも再開の光が射すのなら、こんなに嬉しい事はありません。
ボランティアセンターに道具を返却したら、帰路につきます。
途中、JR常磐線・富岡駅に立ち寄りました。ここは津波の被害を受けたところです。原発の影響で復興が進まず、未だひっくり返った自動車が道に横たわっていたりしています。
まだ、こういう場所があるのです。
まだ、知らない福島がある。
改めて記憶の風化の恐ろしさを再認識した一日でした。