おばあちゃんが作り続ける、このまちの生活と生業、知と夢の詰まった本棚。勝浦市興津「本と文具 さかんや商店」。まちの本屋さんの佇まいは、まちの文脈そのものなのです

 素敵なまちの本屋さんの本棚に、『房総カフェ』も置いていただけることになりました

仙台藩の交易船が数多く帰港し、

「興津千軒」と謳われた江戸時代。

時代は下り、海水浴や行川アイランドの下車駅のひとつとして、

人でごったがえすほどの賑わいがあった昭和時代・・・。

そんな、勝浦の海辺の地区「興津(おきつ)」のかつての繁栄に想いを馳せながら、JR上総興津駅の駅前通りにある「カフェ ドルフィン」でランチをとっていると、軽トラがのんびりとガラス窓の向こうを横切ってゆきます。


ドルフィンの向かいには地元で知らぬ人無しの老舗中華店があります。「肉そば」と「焼肉ラーメン」という(一見違いが分からぬ!?)人気麺類二巨塔に、地元名物のぎょうざを繰り出します。昭和30年代前半に創業したこの「松葉屋飯店」の隣りに、ほぼ同じ年に創業した本屋さんがあります。それが「本と文具 さかんや商店」(勝浦市興津2669)です。


「本屋はもう55年以上やってます。

 うちの母の代になってから50年以上です」


と教えてくれたのは、さかんやを切り盛りする数馬さんです。お母様とお兄さんとともに、興津のまちの本屋さんを支えています。お店は、絵に描いたような「まちの本屋さん」。どこか懐かしさの漂う店内です。

数馬さんはとっても気さくな方で、お母様が「そろそろやめにしたら…」と促すほどのおしゃべり好き(笑)おかげで愉しいお話をいっぱい伺えました。


ふと足元を見ると、段ボールがいっぱい並んでいます。さかんやでは勝浦市や大多喜町、御宿町の学校へ、教科書や書き初めの道具などを納めていて、この段ボールにはその教科書が詰まっているのです。

「小学校の教科書は上と下があるから年2回。

 中学校は年1回、教科書が分厚くなるでしょ。

 時季になると段ボール箱100個分くらい届けなきゃなんないの。

 ひと箱20キロ!

 さすがに私たちだけじゃたいへんだから、

 体力系のアルバイトの人雇うの。引っ越しの人とかね。

 でもお願いできるのは3日間だけという制限があるので、

 よ~く計画を練るの、どういう順番で届けていくかね。

 お米もひと袋30キロらしいですね。

 だからお米屋さんとよく話が合うんですよ。

 こっちは20キロだからまだいいわ、なんて。

 書き初めの段ボールだと30キロになりますよ。

 もう、最後の方になると頭真っ白。疲れで」


と数馬さんは苦笑い。いやぁ・・・お話を訊いただけで腰がメリメリいいそうです。本屋さんというと、基本は座ってお客さんを待って、たまにハタキでパタパタやる。そんなイメージがあります。ところがどっこい、納品(返品というのもあります)は想像以上の体力仕事なのです。


「(千葉県立勝浦)若潮高校行って教科書販売したりもします。

 専攻があるかないかをみて、先生がリスト作ってくれるんです。

 この生徒が購入するのはこの教科書とこの教科書といった具合に

 ピックアップしてくれる。

 そのリストを元に、教科書をセットして販売するのね。

 『やっぱ、この教科書だった!』、

 というのがとても手間だから、

 こうしてくれるのはすごく助かりますね」

勝浦市の郷土本を手にする数馬さん
勝浦市の郷土本を手にする数馬さん

「『さかんや』さんって、もしかして左官屋だったんですか?」


と一緒に同行中の、勝浦市在住のイラストレーター、杉本はるみさんが気になる質問を投げかけました。すると、おじいさんが左官屋さんだったそうです。


「おじいさんは妙覚寺(※)の屋根張ったのよ。

 でも父は身体が弱くて左官をできなかったのね。

 なので本屋をやろうと。

 そしたら本屋も意外に重労働だった」


と、またまた笑いが溢れます。

※興津にある日蓮宗の本山のひとつ「廣榮山 妙覚寺」。山門は市指定文化財


お寺の話をしていたら、以前本屋にやって来た大工さんの話になりました。


「彫刻のページを見て、

 大工さんが欲しいと買っていった」


という本があるそうです。それがこの『写真が語る明治から平成の勝浦』。私も勝浦市移住後、いの一番に購入した本です。地元の中村裕明さんがまとめられた勝浦市の史料的な本です。ここに、神輿や寺社の彫刻が写真で掲載されているのです。

残り1冊になっていたので気になる方はお早めに・・・
残り1冊になっていたので気になる方はお早めに・・・

「大工さんにとってはすごい史料なんですよね。

 見るところが違うんですよね。

 岬に行っても、ただ灯台があるなーってなんとなくって人もいれば、

 漁師さんがみると、この海は俺のところと違うなと見たり。

 見ているところが違いますね」


この「視点」の編集こそが、私の仕事の課題であるかもしれません。そもそもそういう視点がある事自体が、外部の人たちに伝わっていない。そういうところに、逆に地域の可能性を感じたりもします。


そんな漁師さんは「雑誌好き」だそう(笑)そして、なぜか漁師さんは「筆ペン」をよく買っていくのだそうです。


「写経をしたりするようです。

 信仰心が厚いんです」


日蓮宗の大本山・誕生寺に近いこともありますし、何より漁は命がけの仕事です。


「漁師さんはほんとうに筆うまい!

 年賀状なんかもらうと、はーっとしちゃう。

 漁師さんの話になると私止まらなくなっちゃいます」


と笑う数馬さんだが、ご本人は釣りはやらないそう。


「初めて釣ったアジを、

 お父さんの釣りの餌にされちゃったんです。

 それから釣りはもうやらない!」


どこまでも愉快な数馬さんです(笑)

そんな訳ですから、本だけではなく、目立つ所に筆ペンが陳列されています。

初めて訪ねた時は11月中旬。この時季の売れ筋の「家計簿」が平積されていました
初めて訪ねた時は11月中旬。この時季の売れ筋の「家計簿」が平積されていました
バラ売りでの対応をされています。生活に密着しています
バラ売りでの対応をされています。生活に密着しています

改めて店内を見回してみると、ある事に気が付きます。なぜか『暮しの手帖』がいっぱいなのです(雑誌もPOPも!)。


「東京からわざわざ営業に来て、

 『こういうお店にこそ置いてほしいんです!』

 って言ってきたんですよ」


その時、紙媒体の良さ、「紙はなくならない!」ということを力説されたといいます。その熱量がしっかり届いているからこそ、こうして並べられているんですね。


「はじめはおばあちゃんの本というイメージだったんですが、

 今、30代~40代の方が面白いっていって買ってくれます」


という。こうした暮しの手帖の置き方だけではなく、他の本も、並べ方をコーディネートしているのは、今も昔も変わらず、もうすぐ81になるお母様なのです。売れ筋はなんですか?とおばあちゃんに伺うと、


「日記帳ですね、これからは家計簿が出ますね」


とのこと(ちなみに訪ねた時は11月中旬です)。そして、よくよく書棚をみますと、房総の自費出版、小出版本も並んでいるではありませんか。こういう品揃えは「ここじゃなきゃ」できません。

極めつけは「絵本」です。入口から正面の列には、絵本がズラーッと面陳されています。まさか商店街の中の、こじんまりとした本屋さんで、これだけ絵本が強調されて並べられているのはなかなか珍しいと思います。


「初めて作文欠いたのが『モチモチの木』なんです」


と、数馬さん思い出の絵本は、この通り、目立つ所にありますね!

『ロンドン橋でひろった夢』(藤城清治 暮しの手帖社)を購入しました。夢の世界へ、美しくいざなってくれます
『ロンドン橋でひろった夢』(藤城清治 暮しの手帖社)を購入しました。夢の世界へ、美しくいざなってくれます

絵本を購入した時に戴いたブックカバー。このかけ紙のデザインにも惹かれますね
絵本を購入した時に戴いたブックカバー。このかけ紙のデザインにも惹かれますね

この絵本もお母様がこつこつと並べているそうです(年明け後に訪ねたら、絵本のスペースがさらに増えていました・笑)。


「当初は生活用品、こまものも置いてたね。

 ミニスーパーのような」


とお母様。一時期、副業で民宿をやられていたこともあるそうです。1泊2食付で2000円。漁師さんからカツオをもらったら野菜でお返ししたり、イセエビと牛肉を交換したり。そんなやりとりもあったそう。海水浴客向けのお土産物を販売されていたこともあるとか。そう、興津は、今以上に海水浴のまちだった。まちにその記憶のカケラが、今ならまだあります。

「頑張って生きてきたと思います。

 私が19の時に父がなくなって、

 そこから女手ひとつでやってきたんですから。

 一度、本屋は辞める宣言したのにねぇ」


今も、書棚と向き合い、お客様の要望に応えるべく、本を選び、本を並べ、本に込められた熱量とご自身の愛情に満ちた想いを、読者に届けられている。その変わらぬ仕事を、今も続けられている。これは、興津の矜持なのではないかと、私は思います。まぎれもなく、さかんやさんは地域のお店、興津の本屋さんです。