【くるりB面】今と過去が交錯する君津市久留里というまち・過去との邂逅編〜みゆき通りの『この奥』にある、このまちの情景。「喜楽飯店」の記憶

暗がりの横丁の向こう。今も愛される、老舗の賑わいが

みゆき通り商店街。あまりの場末じみた光景に、足を踏み入れるのを躊躇います
みゆき通り商店街。あまりの場末じみた光景に、足を踏み入れるのを躊躇います

君津市の内陸にある城下町、久留里は平成の名水100選にも選ばれたまち。「古くさい」「寂れた」などと言われることもあり、確かにシャッターを下ろした店も多く見受けられます。ですが、いい意味で「ツッコミどころの多い」まちで、憎めない存在なのです。




たぶん、単純なヒストリー(年表的な)の情報提供に留まらず、まちの今の表情そのものから、まちの縦軸を掘り下げ「編集」してあげるとすごく輝く。そんな原石の予感は、まちの佇まいのあちこちから発せられているような気がするのです。


この日は数年ぶりに、あの中華食堂を訪ねてみることにしました。


久留里駅前を背に、「太郎すし」さんのある辻を右に曲がります。するとすぐのところに横丁があります。いえ、初めて訪ねたら、「え?どこ??」となるかもしれません。色褪せた文字で『みゆき通り 商店街入口』と書かれた看板の下は、入るのを躊躇うほどに暗いのです。


『この奥』と書かれた看板を頼りに、思い切って暗闇の中へ足を踏み入れます。

駅とは反対側からみゆき通りを眺めた様子
駅とは反対側からみゆき通りを眺めた様子

暗闇の向こうに、懐かしい暖簾が。

2011年1月に取材させていただいた「喜楽飯店」さんです。4年経った今でも、ぐるっと千葉の掲載記事を貼ってくれていました。これは本当に嬉しいです!


■喜楽飯店

君津市久留里市場170

「『スペシャル』と『五目』ね!」

「ご飯ちょうだい!!」


定食メニューが手書きでズラリと書かれた張り紙。その下のカウンターでは活気ある声が飛び交います。フライパンと熱戦を繰り広げるご主人。注文をとるおばちゃんの傍らで、若い女性客が注文していた持ち帰り用の料理を受け取っています。かと思えば、不意に扉がガラリと開いて出前から戻って来たり。


客席を見渡せば、おじさんたちや子ども連れのファミリー・・・文字通り、老若男女、様々なひとたちがパイプ椅子に腰掛けています。「ああ、これが賑わいなんだな」、思わずそう呟きました。なんだか嬉しくなって、ちょっと奮発してチャーハンにラーメンを加えて注文しました。

あっという間に出来上がってきます。このスピード感、相変わらずスゴいです。まったく飾り気のないチャーハン、そしてラーメン。しっかりと修業して、その技術を持ってして作られた料理は、本当においしい。それでいて「スゴいだろう」という押し付けがましくない、職人の美徳を感じさせるような料理の表情がなんともいえません。

 

懐かしくなって4年前の取材レポートを振り返ってみますと、面白いことがいっぱい記述されていました。


       ◆


喜楽飯店のメンバーは店主の前田雄一さんと弟の忠敬(ただよし)さん、姉の静子さんを中心に、ベテランのパートさんで構成されています。


忠敬さんは「出前のプロ」と兄の雄一さんから頼りにされる存在。誘拐されそうになった中学生を引き止めて救い、学校からお礼の電話をもらったという武勇伝も。


「あれはどこどこの娘だって、すぐ分かるからね。

 地域に溶け込んじゃってますね」


と振り返る忠敬さん。


「出前行った先で、大根や野菜もらって

 『食べな~』なんてね」


とも。

そんな、地域密着型のお店、喜楽飯店。

創業は昭和51年。雄一さんが18、19歳の頃、千葉市にかつてあったという京華飯店で修業。横浜でも技術を磨き、中華の基本を身につけます。その後、親が体を悪くされたことをきっかけに久留里に戻り、喜楽飯店をオープンさせました。雄一さん、25歳の時です。当時は


「あの若造にできるのか、っていう目で見られてましたけど」


という雄一さん。今や創業して38年を超えています。


改めて喜楽飯店を見渡すと、番号の割り振られた定食メニューが目につきます。


「(ナスの旬の時季の)夏にしか出さない11番(肉とナスのみそ煮ライス)を夏まで待っているお客さんもいますよ」


「浮気しようと思ったけど、やっぱりここへ来ちゃった。やっぱ9番『肉とキャベツのみそ炒めライス』。ここのが旨いんだよね」


そんな声をかけてもらってきたそうですが、静子さんは


「この人は何番(頼む)かって、分かるんだわ」


と笑います。


「お客さんの好みは結構はっきりしていて、それ以外は食べないって言う人が多いんですよ。ふとした時に『これはいつからあったんだい?』『前からだよ』『まだ食べてね~よ』なんてなることもあってね。初めて食べたメニューのファンになっちゃうとそればっかり」


と雄一さんが続けます。

現在、お客さんは地元の常連客のほか、意外に若いお客さんも多いのだそうです。


「(久留里の)水を汲みに来た人たちが立ち寄ってくれることもあるし、若い人も多い。ゴルフ帰りの人、JRの職員。特に保線の人はよく来てくれるね。ここ、土間でしょ、だから入りやすいんだよね。きれいにし過ぎると遠慮しちゃうんだよね」


なるほど。

 

みゆき通りのあまりの場末感には正直驚いたものの、お店としての「敷居の低さ」というのは、料理の表情からも見て取れるように、「こだわり」こそあれ、こうしなきゃダメなんだよ、という「固執」がありません。おいしさで納得してもらうプライドがあり、それを華美に彩らずとも納得してもらえるだけの自信と技術、心意気があります。だから、佇まいも料理の表情も、限りなく控えめでさり気ない。調理し、お店を忙しなく切り盛りされているその様子も、「そうそう、この賑わい、活気がいいいんだよね」と腑に落ちるところがあります。だからこそ、訪ねてみて、そして食べてみて、「安心感」に包まれます、「やっぱここで良かった」と。お客もプライドの着物を着る必要がありません。そういう泰然性こそ、老舗の矜持なのだと思います。それは揺るぎない大樹のようです。

そんな喜楽飯店ですが、創業当時は学生で、みゆき通り全体がごったがえしていたと、雄一さんは回想します。


「学生って、学ランなんかで黒いでしょ。そりゃもう、黒い塊が押し寄せるようにやって来たよ。この前(=みゆき通り)なんかもさ、人でぎゅうぎゅうになっちゃって出らんないから、出前を断ってたもん」


「昔はね、本屋やおやき屋、スナック、洋品店、おもちゃ屋と、いろいろあったのよ。うちの半分のスペース(=久留里街道側)も小鳥屋さんだったのよ」


と静子さん。今では県立君津青葉高校の学生が大人になって、子どもと一緒に来てくれることもあるそうです。そう話す雄一さんは


「学生はよく『肉かけ丼』を食べてたね」


と、ちょっぴり嬉しそうに言いました。先日は社会実習で小学生が来たそうで、そのおばあちゃんたちが常連さんなのだそうです。


「1時間とかいることあるよ。そん時はお茶出してあげるの」


みゆき通りは「ネタ」になってしまうほど寂れてしまいました。

でも、まちの趨勢とともに歩んで来た老舗の安心感、優しさに惹かれるように、現在も多くの人が、食事をしに足を運ぶのです。暗がりの横丁の向こうにある、明るい笑顔を目指して。