『房総のパンⅡ BAKER TO EDIT 編集するパン屋』発行によせて

2019年6月2日より発売です

「人としての感覚」を編集する。

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世界各国を訪ね、南房総の里山に辿り着いた、とある旅人。

旅先のサンドイッチは、彼にとって文字通り「生きる」糧だった。

世界の旅を終えた後も、彼は日本各地で食の実体験を通じ、生きる在り方を咀嚼した。

そして森と田園に抱かれたこの地で、自ら工房と店舗を改修し、パンを焼き始める。

彼は言う、「パン屋って意識、ないですね」と。

彼にとってパンを作ることとは、自ら日々の糧を作り出す、

あくまでも生きるということに対するベースラインなのだ。

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店を持たずにパンを届けてまわる女性。

千葉市の街中をめぐる「放浪ぱん屋」は、

人に喜んでもらえることの幸せや尊さを、両親から、放浪先で出会う人々から教えてもらった。

そして、その中心にパン作りがあった。

「やりたいことができて充分だな」と言う彼女。

その言葉は、店の有無よりも、

パンという芯を通じてどう在りたいか、という示唆のようでもある。

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木更津市に、一つの空間をパン屋とロースタリーカフェがシェアする、ユニークな店がある。

パン職人の彼はこう言う、

「これからいろいろ技術が発達して、仕事をする必要も無くなってくるかもしれない。でも、人間が楽しめる仕事はないと。人間のオリジナリティが発揮できて、やってる人間が面白くないとね」。

コーヒー職人の彼はこう言う、

「夏は入口を開放して、音楽を演奏しながらお酒が飲めるようになれば」。そして、隣のパン屋で「ホットドッグなんかを作ってもらって」と付け加える。

「楽しむ」という感覚をシンクロさせる二人は、

「店」というハコの捉え方、仕事や働き方について、わくわくした考察へと導く。

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パン屋はこういうものだ、という固定化されたフレームから解き放ち、

ビジュアルとキャッチコピーに彩られた商業主義的幻像のむこう側へ光を当てれば、

新たな世界が見えてくる。

枠を取り払い、霧を中を歩むのに必要なのは「人としての感覚」だ。

素直で正直で素朴であり、時に野生的。そんなストレートな感覚。

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成田には、その感覚を地域にまで広げた人がいた。

店にとどまらず、麦秋が彩る農の大地や、

彼の過ごしたノルマンディーのマルシェの記憶を宿した市にまで。

彼の言葉は、「生きがい」と呼ばれるものの根源にあると感じる。

 

「『生きる』って大変じゃないですか。でも、人と会うと、それがちょっとラクになるよね」。

 

パン作り、店の在り方、パンの届け方、糧としてのパン、そして家族や仲間たちとの関わり…

様々な要素と絡み合いながら、その感覚は編集されていく。

その編集された姿、佇まいは、

生き方、生き様そのものである。

「千葉」「房総」という風土の多様なフィールドの中に、

多様な生き方をする人たちがいて、

多様な生き様が、誰かの感覚に響く風景になっている。

パンというキーワードを通じて、

「千葉」「房総」の魅力を感じていただけてらこのうえなく嬉しい。

本書は、「人としての感覚」を編集する人々を取材し、

生きがいという光を紙に焼き付けた、

パンから始まるルポルタージュである。

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『房総のパンⅠ 南房総という生き方』の発行からはや3年近く。『房総のパンⅡ BAKER TO EDIT 編集するパン屋』が、2019年6月2日に発売となります(本書掲載の販売店はお届け後随時先行発売)

今回は『地図とペン』の市川さんのご好意で、フリーペーパー『地図とペン』(2014年第3号)「MEINA BAKERY」の記事を、特別付録としてブックカバー裏面に掲載しました。カバーを展開すると当時の地図とペンと同じA3サイズになる仕掛けになっています。こちらも合わせてお楽しみください。

 

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