出西窯の石鹸台は
台所と浴室で活躍中。
水切り穴があって便利なんです
旅の二日目。湯町窯を訪ねた後は出雲大社近くのゲストハウスに宿泊。翌朝は出雲市内、旧斐川町にある「出西窯」を訪ねます。
ヤマタノオロチ伝説が残る暴れ川、斐伊川を渡ると、平野が広がり、黄金色に色づいてきた稲穂が風景の向こうまで広がります。その伸びやかな風景のなかに、石州瓦の伝統色、赤褐色の来待色が田園に浮かぶ島のように初秋の光を湛えています。その心安らぐ穏やかな出雲の農村に溶け込むように、出西窯があります。
作業場の中には登り窯と灯油窯があります。
中にお邪魔すると、ちょうど窯から器が取り出されるところでした。
「扱いやすいので一度素焼きするんですよ。
この後釉薬かけて本焼です」
作業場では若い陶工たちが、黙々と土と向き合っています。
研ぎ澄まされたその空気感に、思わず背筋がシャンとなりますが、それは澱みなく清々しいものでした。
作業場を後にし、隣にある「くらしの陶・無自性館」へ向かいます。無自性館は、出雲民藝協会会長の山本茂生氏が所有していた明治初期の米蔵を譲り受け、移築再生した建物です。ここが展示販売場になっており、お気に入りの器を探すことができます。
3年前に台所用に購入しすっかり気に入ってしまった陶器の石鹸入れ。今回は、もうひとつ、浴室用にと丸形のものを買い求めました。さらに、呉須釉の砂糖壷と、湯飲み用の器を加えました。
そして、器とともに出逢ったのがこの書籍、『出雲の民窯 出西窯 民藝の師父たちに導かれて六十五年』(多々良弘光
著 ダイヤモンド・ビッグ社)です。この本は、出西窯設立メンバーの一人、陶工・多々良弘光さんが、創業以来の歩みを振り返った本です。聞き手の藍野裕之さんによる、分かりやすい構成でまとめられています。
そこには、決して名を立てず無名の職人として生き続けてきた陶工の、思わずはっとさせるような言葉で溢れているのでした。
『仏教の教えは空を説き、その空こそは無自性(中略)無自性とは、お陰さまの心です。生きていくことは何もかもお陰さまであって、自分の手柄などあろうはずもない、という教えです』
『つくりものと生まれものがあるんだ』
『用の美』。
民藝の考えには、使い手の用途という考えが必ずあります。『作品の背後にある生活の重要さ』です。『他力』が美を生み出すと。お陰さまの心「無自性」が、民藝と繋がっているということを、この本は分かりやすく諭してくれました。なんで民藝の器に私は「違和感」を感じないのだろう。それはずっと疑問でした。この本の、多々良さんの言葉が、その疑問の塊を少しずつ溶かしてくれます。
『みんなが個を超えて協力ができる根源的な教えの中に育った品、これが民藝の美なのだと思います』
『仕事をするうえでいちばん大事なのは喜びを持って仕事に取り組むことができるかできないかだと思います。自分の仕事に喜びが見出せる。そんな恵み。これは稼ぎの大きさとは別で、仕事が生涯の生きがいになるかどうかの決め手です』
『雇用の創出ということをよく耳にします。それにはどうも少しの違和感を持ってしまいます。わたしたちも、民藝運動に賛同されておられた各地の篤志家の方々に仕事をつくっていただきました。しかし、それは雇用ではありませんでした(中略)仕事そのものが、自分たちが生まれ育った土地で生きる喜びや誇りと直結していて、仕事は郷土で生きるうえでの生きがいでした。民藝運動は郷土に生きる生きがいを創出してくれたんです』
『他の人が何をしているかわからないくらい、自分がやりたいことに集中しなさい(中略)他人の振る舞いが気になるほど気を散らかしてしまっている人の話は、誰も聞いてはくれません。作陶はもとより、事務仕事であれ、お客さまのお相手であれ、ひたすらに集中しなさい。それしか進む道はありません。すべてあなたの後姿にかかっています』
本書の中で、バーナード・リーチは「伝統」を
『共通に保持されている価値』
と述べています。無自性と繋がる民藝が、その普遍性を持ち得ているからこそ、違和感のない「伝統」として感じることができるのかもしれません。
器に注いだコーヒーを味わいながら、「生きる」という美しさを、喜びを、改めて考えさせられるのでした。